23 小特集 痛みの心理学 測できることが報告されています (Lerman,etal.,2015)。 不安・抑うつの問題は,慢性痛 を理解する一つの側面ですが,不 安・抑うつの程度が高くなるプロ セスを理解することなく,適切な 対応をとることはできません。抑 うつや不安・恐怖の問題を含め て,慢性痛がどのように維持・悪 化していくのかを表現する心理学 モデルはいくつか提唱されていま すが,最も広く受け入れられてい るのは,慢性痛のfear-avoidance modelです(図1)。このモデルに よると,痛みに関して恐怖を抱い ていると,痛みが生じる可能性が ある活動を実行することができ ず,活動の回避が長期にわたって 継続し,二次的な問題が広がって いきます。たとえば,痛みのため に広い範囲で能力障害が生じ,そ れまでできていた楽しみが痛みの ためにできなくなり抑うつ状態に なったり,回避が拡大し寝たきり 状態になることにより廃用症候群 になってしまうなどの変化がみら れます。さらに,こうした能力障 害や抑うつ状態,廃用症候群に よって,より痛みが生じやすくな り,悪循環が形成されています (Vlaeyen&Linton,2000)。 このモデルの特徴は,学習心理 学を中心とする行動療法の観点か ら慢性痛を理解している点です。 慢性痛患者さんは,痛みに関連し たさまざまな刺激に,恐怖を感じ ています。たとえば,腰痛を伴う 患者さんを考えると,柔らかいソ ファに座ること,立ち仕事をする ことなど,多くの事柄が恐怖の対 象です。これらの活動が恐怖の対 象になり維持される過程は,古典 的条件づけおよびオペラント条件 づけによって説明が行われます。 つまり,ソファに座ることに恐怖 を抱く患者の場合であれば,本来, ソファは恐怖を引き起こす刺激で なかったにもかかわらず,ソファ 使用中に痛みを感じることによっ てソファ自体が恐怖を引き起こす 痛みは,単なる身体的な感覚で はなく,情動的な成分も含んだ体 験で,心理社会的要因に大きく左 右されることが知られています。 急性痛および慢性痛のどちらで も,心理社会的要因の影響は存在 しますが,特に慢性痛でその影響 は大きく,さまざまな心理社会的 要因が痛みの体験を左右すること が指摘されています。本稿では, 心理社会的要因が痛みに及ぼす影 響について,特に慢性痛での知見 に基づきながら紹介し,心理学か らみた痛みの理解について概説し たいと思います。 心理社会的要因の中で最も検 討が多く行われているのは,不 安・抑うつとの関連です。不安・ 抑うつは,慢性痛患者が痛みと 同時に頻繁に訴える問題の一つ で,調査によって大きく数値は変 わりますが,慢性痛患者では18 パーセント程度,特に慢性痛専 門外来受診者に限ると52パーセ ントが,大うつ病を罹患してい たと報告されています(Bair,et al.,2003)。不安症の有病率も高 く,7 〜 28.8パーセントに認めら れています(Asmundson&Katz, 2009)。こうした不安・抑うつは 痛みを悪化させる方向に影響を及 ぼしています。慢性痛を対象とし た縦断調査によると,不安・抑う つによって,7 ヵ月後から20 ヵ 月後の痛みの程度や能力障害が予
慢性痛の心理社会的モデル
北海道医療大学歯学部 准教授松岡紘史
(まつおか ひろふみ) Profile─松岡紘史 2009年,北海道医療大学大学院心理科学研究科博士課程修了。博士(臨床心理学)。 同大学助教,講師を経て,2018年より現職。専門は臨床心理学,心身医学。著書は 『歯科医師・歯科衛生士のための認知行動療法』(共著,医歯薬出版)など。 図 1 慢性痛の fear-avoidance model24 い要因となっています。 慢性痛がなぜ持続するのか,生 物学的メカニズムの知見のみで は,目の前の患者さんの痛みが治 らない場合もあります。これまで 紹介した心理社会的モデルやモデ ルの中で扱われている要因に基づ いて慢性痛を理解し,その理解に 基づいた治療を行うことで,生物 学的メカニズムから治療が困難で あった患者さんへの対応が可能に なります。本稿で紹介したモデル は,慢性痛患者さんを理解し,治 療に結びつける有用なモデルであ るといえます。 文 献 Asmundson,G.J.&Katz,J.(2009) Understandingtheco-occurrence ofanxietydisordersandchronic pain: State-of-the-art. Depress Anxiety, 26,888-901.
Bair,M.J.,Robinson,R.L.,Katon,W., &Kroenke,K.(2003)Depression andpaincomorbidity:Aliterature review. Arches of Internal Medicine, 163,2433-2445.
Eccleston,C.&Crombez,G.(2007) Worry and chronic pain: a misdirected problem solving model.Pain, 132,233-236. Lerman,S. F., Rudich,Z., Brill, S.,
Shalev, H., & Shahar, G.(2015) Longitudinalassociationsbetween depression, anxiety, pain, and pain-relateddisabilityinchronic pain patients. Psychosomatic Medicine, 77,333-341.
Thorn,B.E.,Ward,L.C.,Sullivan, M. J., & Boothby, J. L.(2003) Communal coping model of catastrophizing:Conceptualmodel building.Pain, 106,1-2.
V l a e y e n , J . W . , & L i n t o n , S . J.(2000)Fear-avoidance and its consequences in chronic musculoskeletalpain:Astateof theart.Pain, 85,317-332. 刺激になり,恐怖のためにソファ に座ることを避けることによって 恐怖が維持してしまいます。 さきほどの痛みに対する恐怖の ように,学習心理学の観点から慢 性痛を理解する試みは,心理学の 観点から慢性痛を理解するうえで 大きな転換点でした。慢性痛患者 さんがとる行動を学習心理学の観 点から理解する際には,恐怖だけ でなく,患者さんを取り巻く第三 者の影響も大きな要因です。たと えば,慢性痛では,過剰な痛みの 表出が問題になる場合がありま す。痛みの表出は,周囲に人がい る場合といない場合では,その程 度が大きく変わることが知られて おり,周囲に人がいる場合のほう が表出が強まります。さらに,周 りにいる人が患者さんの痛みを気 遣ってくれれば,訴えはより大き く,頻繁になります。こうした第 三者の影響についてもcommunal copingmodelとしてまとめられ ており,患者さんがとる行動が他 者からの注意や共感を得るための 機能を果たしていると考えられて います(Thorn,etal.,2003)。痛 みが長期化することによって,第 三者からのサポートは減少し,患 者はなんとか以前と同じサポート を得ようとさらに過度に痛みを表 出するようになるという悪循環が 想定されます。 さらに,痛みが本来持つ機能が 悪循環を生んでしまっているとい う観点から慢性痛患者さんを理解 するモデルも提唱されています。 痛みは生体が生存するうえで非常 に重要な情報です。痛みを無視し て活動し続けることは,けがのよ うな痛みを生じさせている原因を 悪化させ,生体の生存率を著しく 低下させる可能性があるからで す。痛みには,注意を引きつける 機能があるため,痛みを無視する ことは難しく,痛みを改善する方 向に生体は動機づけられます。患 者さんが医療機関を受診する行動 や痛みの原因となっている原因に 対する治療行動もこうした動機づ けによる行動ととらえることがで きます。急性痛ではこの機能は非 常に有用ですが,慢性痛では痛み の原因が不明で治療方法も確立さ れていないため,うまく機能しな い場合が多くなります。本来であ れば,痛みが存在しても生活を充 実させる方法を見つけるというよ うな,痛みを改善させるという方 法以外で,状況を改善させる手段 を考えることが問題の解決につな がる可能性が高いはずです。しか しながら,痛みが持つ注意を引き つける機能がそれを妨害してしま い,痛みの根本的な治療に全精力 を注いでしまいます。患者さんの 努力にもかかわらず,根本的な 解決は得られず,悪循環に陥っ てしまいます。こうした状況を モデル化したものがmisdirected problem-solving model です (Eccleston&Crombez,2007)。 これまで紹介したモデルで扱わ れている,痛みへの恐怖,患者を 取り巻く第三者の存在,痛みに対 する注意などは,慢性痛に影響を 及ぼす代表的な心理社会的要因で す。これらの要因に加えて,破局 的思考の重要性も数多くの論文で 指摘されています。破局的思考 は,痛みの改善に向けた取り組み をあきらめてしまう「無力感」, 痛みに関して状態が悪化すると考 えてしまう「拡大視」,痛みにつ いて繰り返し考えてしまう「反す う」からなり,多くの慢性痛で症 状に影響を及ぼしていることが知 られている要因です。これまであ げた三つのモデルすべてに,この 破局的思考は組み込まれていて, 慢性痛を理解する際には欠かせな